秋の夜長に

 秋になると、今年の終わりが見えてくる。この前まで暑さで蕩けていたのに、吹いてくる風が半袖では鳥肌が立つほどひんやりとしてきたと感じた瞬間、後ろから急かされている気になる。
今年やり残したことは何?と聞かれても、やり残したことばっかだ。


 昨年から後ろ髪を引かれたまま断ち切れずにいるものもあるし、むしろ後ろから引っ張られるものがないくらい断ち切ったものもある。
わたしは恋愛に恋して失恋に失恋する身勝手な人間なのだ。
それだから、相変わらず恋愛で得たものといえば、恋愛ソングが他人事に聞こえなくなったことと、失恋ソングで妙にしんみりできるようになったことだ。
そう言わないと秋の夜道を闊歩できないと思った。


 変化がないと言われるのがいちばん怖くて、一年を振り返ったときに、何を手に入れたか、何が変わったかを数えられないことが怖い。
焦れば焦るほど新しいものに手を出す癖は直っていない。
気付けば、机の上はいくつものタスクが散らばっている。
つまみ食いしてはどれも未完成のままで、何にも自信を持てずに、一体何がやりたいのか分からなくなる。


 仕事の面談のときに、上司は今のわたしの仕事をいくつか褒めてくれた後に、「でも、仕事の出来に波がある」と言った。
今の上司は本当に尊敬している人で、わたしのロールモデルにしたい人だ。
ネガティブな点を指摘されているはずなのに、あぁやっとわたしは、このことに向き合えると思った。
黙認して諦められるより、しれっと軽く指摘してくれる上司に救われたと思った。
できる日はすごくできるけど、できない日はとことんできない。
確認したはずなのに確認が甘いとか、やってるつもりなのにやっていなかったとか、自分でもよく分からないケアレスミスがすごく多かった。
ケアレスミスを繰り返した日は、帰りの電車に揺られながら「今日は何しに職場へ行ったんだろう」と考えてすごく落ち込む。
能力云々の前に自分の頭の機能が心配になってネットで色々調べた。
「原因は?」と聞かれても答えられなかったけど、でも、本当は分かっていた。
頭の問題じゃなくて、明らかに心の切り替えが下手くそだからだ。
自分が思っているよりも、仕事の丁寧さに影響が出てしまっていることを知っていながら目を瞑っていた。


 あんなにも就きたくて、もがいてやっと就くことが叶った仕事だったのに、仕事へのモチベーションが地に落ちていた。
わたしは自分の仕事に誇りを持てない人にはなりたくないと思っていたのに、いつの間にか自分の仕事に対する丁寧さと責任感を失っていた。
とことんプライベートとその日の気分に引っ張られる仕事の出来を見過ごしてきた。


 面談の日は指摘されたことに落ち込むよりも、引き上げてもらったと思えた。あぁ、やっと自分の直すべきところに向き合える。
金曜日だったから、その足で無印良品に向かって、デイリー欄が大きい手帳みたいに使える真っ新なノートを買った。
変わるためにとことん向き合おうと思った。


 今日、始業前にノートを開いて、今日やるべき仕事と今の気持ちを書き込んでいった。
眠気で頭がぼーっとする。そういえば、最近のわたしは毎日眠りが浅い気がする。
「今日は早く寝る。眠る前にスマホを見ない」
「一度手をつけたことを終えるまで別のことに手をつけない」と自分へのメッセージを書き込んだ。
今日は憂鬱なはずの月曜日なのに、けっこう出来る日だった。


 その代わりに、気を張るモードが抜けきれずに夜道を散歩しながら思い浮かぶままに考え事をした。
失って初めて気付くものとは、それがいかに大切だったかということではなくて、わたしを一段押し上げてくれた感謝だということ。
いつも気付いた時にはもう感謝を言えないけど、そうやってわたしは成長しているのよ。