答えは出ないというのに。

たまに意味もなく寂しくなる。寂しくなるって、結局は、持て余した暇を、愛されている実感で埋めたいとかいう自己中心的な幼い欲求なだけで、ホンモノの孤独とは違う。
本当は何が欲しいわけでもなくて、自分だけが取り残されている手持ちぶたさな時間が怖いだけ。
夜中に反則なはずの甘いアイスを食べても満たされない夜は、とてつもなく息苦しくて長く感じる。


普段、1人で生きていけますよって顔をして歩いているはずなのに、寂しくなると途端に相手をしてくれそうな誰かを探して口数が増える。
馬鹿みたいだ。
話したい内容もないのに通話ボタンを押すとき、話題づくりに、今日あった嫌なこととか、わたしの手持ちの不幸な話を必死に思い出す。
ねぇ、聞いてよ〜から始まる愚痴。別に共感も慰めもアドバイスも求めていない。
ただ、沈黙が怖かっただけだ。
地声よりもちょっと高めの声で話すとき、よく思われようとしているそんな相手に、心なんか開いていない。

 

そうやって、寂しくなって誰かを求める自分は、自分じゃない気がする。
わたしはそれがしたいわけでも、多分出来るわけでもないけど、ワンナイトラブの意味がちょっと分かる気がする。
倫理観は置いておいて、利害関係が一致した欲望以外、お互いの素顔や生活を干渉し合わない関係がむしろ清々しいんじゃないかとすら思う。
そう思うほどまでに、何にも分からないくせに、気持ちを分かったフリをされたくない。
わたし以外の人間に、一体わたしの何が分かるんだ。わたし以外の人間を、わたしが分かってあげることなんか出来ない。
夜に酔った勢いでちょっと甘えて返した返信を、朝見ると、一気に白けて送らなきゃよかったってひどく後悔する。
顔文字が多い。
微笑んでいる絵文字を語尾につけておけば、何でも許していそうで、優しそうに見えるのが気にくわない。
顔文字で文章を飾るなら、もっと気の利いた文句の一言でも入れておいてほしい。
笑いながら汗をかいている絵文字を見るたびに、笑ってるのにちょっと困ってるそのアンバランスな表情で、心中を察してくれって期待されてるみたいで、気持ち悪い。はっきり言えよ。

 


インスタを見てるとおすすめ欄に出てくる育児漫画で、育児中のお母さんとお父さんが分かり合えなくて喧嘩になる話を見るたびに、将来するかも分からない結婚が憂鬱になる。
わたしは女性だからどうしてもお母さんに感情移入して考えてしまうけど、子供を産んで、育てるって壮絶すぎる。
数年後の自分に、それが出来るんだろうか。
家事や育児について、男性が「参加する」とか「手伝う」っていう表現が多く使われているのが嫌だ。

例えばシェアハウスをしている友達同士だったら、自分のことは自分でやったり、生活をするための役割をきちんと話し合って分担出来るのに、どうして結婚して夫婦になったら、それが出来なくなるというんだろう。
婚姻関係を結んで夫婦になったら、子供を産んだら、何もかも「無償の愛」みたいになるのが怖い。許したくないことも、その愛ゆえに許さなければならないことが受け入れられるのが、母性というのだろうか。
それなら、わたしには母性が芽生えないかもしれない。


「自分の方が疲れている」とか「自分が養っているから」とか、大黒柱は男性とか、家のことをやるのは女性と一般的に決め付けられた価値観が息苦しくてたまらない。仕事一筋に生きたい女性だって、家事が得意な男性だって、どっちも許されていいはずだ。
どちらがいいか選べもしない、ある性別にたまたま産まれてきてしまっただけで、どうしてやるべき役割が決められなければならないんだろう。
就活のとき、志望理由のひとつに、「女性でも働き続けられる仕事」をあげながら気持ち悪くなっていた。
働き続けたいという夢のために、仕事を選ばなければならないのが嫌だった。
単身赴任でも、遠くへ出張でも、何だってしたい。
適齢期になったら結婚をして、子供を産んで育てることが女性に課せられた「一般的な幸せな生き方」なら、どうしてわたしの人生は、今までずっと自分で歩いてきたのに、途中から誰かのものにならなきゃならないんだって捻くれたくなる。
でもきっと、男性だって社会から勝手に乗せられた「男性だから」のレッテルの重みに潰れそうな人だってたくさんいるんだろう。


寂しさって、愛って、レッテルって、何なんだ。
別に考えない方が気楽に生きていけることを、永遠にぐるぐると考えこんでしまう脳みそが憎い。
深夜のリビングでうずくまって考えていても、どうせ答えは出ないというのに。