ひとりごと

26歳になってから人生に迷うようになった。

周りの友達の恋バナはみんな「もう遊ぶ歳じゃないから」「今の彼氏と結婚したい」って言う話。

でも、歳上の女性に相談すると「まだ若いから焦らなくていいよ」っていう。

去年から結婚ラッシュが始まって、周りの友達がどんどん結婚してどんどんお母さんになっていく。

良いなぁって思うけど、その良いなぁは結婚相手を探すためにもう頑張らなくて良くて良いなぁなのか、お母さんになれて良いなぁなのか、人生が新しいステージに進んで良いなぁなのか本音が全く分からない。

全部本音だし、でもどこかでまだ自分だけのためにやりたいことが山積みな気がする。

 

そもそも、わたしは結婚できるのか。

今までさほど異性から異性として見られて選ばれてきたことなんて無いじゃないか。

彼氏すらまともに出来ないじゃないか。

初手は良いけどみんな友達みたいになって終わるから、接し方直さなきゃとか色々考える。

でも、昔から「異性」として好かれることがすごく怖い。

自分が女性であることを拒否してるとか、男性的だとかそういうんじゃなくて、わたしは女性だし可愛いって思われたら素直に嬉しいんだけど、でも、「異性」という枠組みで好かれるのが怖い。

恋愛は「異性としての好き」をベースに成り立つものなのに、何だかそれはすごく脆くて良い面しか見ていない気がするのに、いざ恋人になったら誰よりも近い存在になるのが純粋に不思議でたまらない。

わたしの女性的な面とわたしの人間の本質は違うから、人間の本質を見せたときに嫌われるのが怖い。

出来れば女性的な面は後出ししたいんだけど、それだともちろん恋愛が成り立たないから、わたしの人間的な面で接する「友達」だけが増えていく。

人間モードをちょっと奥にやっておかなきゃ恋愛出来ない。

小手先のテクニックが使えない。

 

異性のことを恋愛的な意味で好きになるし、欲望も欲求も持ってるんだけど、いつの間にか「異性として」じゃなくて人間として好きになってる。

多分その人が同性だったとしても、好きになるんだろうなって思う。

 

 

そういえば、「すごく好きだったなぁ」が脳内の口癖みたいになってる。終わった片想いはさっさと忘れた方が楽なのに、好きだった人に彼女出来たって聞いたら多分内心すごく悲しくなる。素敵な人だから彼女ができるの当たり前だし、人の幸せは願った方が良いんだし、悲しくなる権利も無いのに悲しくなる。

 

勇気を出して気持ちを伝えたこと、思い返して「よく言った!」って思う日もあれば、とんだエゴの押し付けだったって思う日もある。

付き合えなかったからとかじゃなくて、私じゃ無いんだよなっていう選ばれない現実に、独りよがりな自己肯定感が崩れていく気がして悲しくなる。

きっとすごく好きだったのは、その人自身じゃなくて、片思いっていうフィルター越しの瞳で見ていたその人なんだよなって思うと、ちょっと気持ちが楽になる。

 

 

前に友達と占いに行ったら、「結婚は32。ちょっと遅いけど、でもすごく幸せになれるよ」って言われた。

そういえば、32っていう年齢今までめちゃくちゃ聞いた。一時期占いにハマってた時期に、他の何人かにも言われた。

そこまで言われると本当に32なのかもしれない。

その時は、理想よりちょっと遅いなって思ってた。出来ればみんなが結婚する頃くらいに自分もちゃんと結婚していたいと思っていた。

それは、心から結婚したいんじゃなくて、自分もそうしていれば焦ったり嫉妬したりそんな感情を抱かなくて済むかもしれないって思ったから。

 

でも、まだ今の自分に将来ずっと一緒に生きてく人を選べる自信がない。

自分が成熟しないと選ぶどころか理想とする人に釣り合わない。

楽しいことも苦しいことも、もっと色んな経験をちゃんと積むんだよって思う。

 

仕事では毎日同世代の離婚の話ばっか見てる。

でも、離婚するから失敗だとか悪いとは思えない。

わたしの親も離婚してるけど、昔の記憶にある毎日辛そうな顔してた母親よりも今の母親の方がずっと幸せそうだから。

そもそも今の世の中「一緒にいる」の方法も多様化してるんだなってすごく感じる。

 

だから、選択肢がすごく多い。

結婚したいのか、どこまで仕事したいのか、子供が欲しいのか、どうやって生きたいのか。

子供産みたいなら出来れば早い方が良いって言われる。

何で男性は30でも40でも良いのに、女性はまだ若すぎる10代20代のうちから結婚を意識せざるを得ないんだってちょっと腹を立ててたこともある。

思うと、わたしの母が結婚した歳はとっくに通り過ぎたし、今のわたしの年齢で母はお母さんになったって思うと、母が来年の誕生日を迎えたら、母は、「娘として生きた時間」よりも「母として生きた時間」の方が長くなる。

母ってすごいなって他人事みたいに思ってる自分がいる。

 

考えてもその通りにはいかないのは分かってるけど、成り行きに任せられるほど軽くないし、私の人生はどうやら自分が決めて動き出さないと成り行き任せでは決して動かない人生だってよく知ってる。

まだ何にも分かんないのに、選択ができる時間の猶予がどんどん迫ってきて、どうするんだろう。

 

ひとりで歩いてる時の考え事が、最近そうやって現実味をおびてきた。

 

 

思考の海を深く潜る癖

「思考の海を深く潜る」癖がある。

それはあまりぼーっとしている瞬間には起こらないけど、ひとりで街を歩いている時とか、読書をしているのになぜか気がそれた時とか、布団に入ったのに寝付けず寝返りを繰り返している時に突然起こりうる。

例えば、「友達が結婚した!」っていうニュースがあったとして、それはとても喜ばしいことで幸せになってほしいと思うんだけど、ふと自分に焦点を当てた時に「自分の幸せとは?」って考えたりする。そしたら、「幸せの定義とは?」って考えだして、わたしが思う幸せの定義は今のところ「自分を偽らなくていい生き方をすること」だと思うんだけど、そもそも「偽らなくてもいい自分」って「今生きてるうちのどの部分の自分のことをいうんだろう」って考え始めて、「これからどうやって生きていくんだろう。5年後は?10年後は?」って考え始める。

これはまだ海の浅瀬の部分で、自己探索と将来への不安がミックスジュースになっている部分だ。

まだ、「まぁ、なるようになるだろう」って思ってしまえば思考をやめられる。

でも、ここからどんどん深く潜っていくと、「結婚をするとしたら、愛するということが根本となるのだろうか」

「今自分が結婚したいと思える人と出会ったとして、今の自分が持っているものでその人を愛することが出来るのか、それとも関係性の中で生まれていくものなのか」

「そもそも愛とは色んな種類があるけど、結婚に適合する愛とは何だろうか。別の種類の愛を持っていたらそれは恋愛とはどう反するのだろう」

とか、哲学なのか屁理屈なのかよく分からない思考に辿り着く。

ここまで来ると、例え考え尽くしてある程度の答えが出たとしても、それは暫定的なもので、例えば翌日にたまたま「ある本を読んで内容に感銘を受けた」という経験だけで、自分の中に新しい考え方が生まれて物事の考え方が変わることがあるから、答えに辿り着くことなんて一向に無い。

 

そういえば、まだ小学生の頃、寝る前に「人はいずれ死ぬこと」「地球の外には宇宙があるけど、宇宙は全く得体の知れない空間で、宇宙の外側には何もない」っていうことを考えてたら怖くなって眠れなくなって、母のところに泣きながら行ったことを思い出した。

幼かったから自分がどうして泣いているのかを上手く説明出来なかったけど、母親から「今をちゃんと大切に生きるんだよ」って慰められたのを覚えている。

実は、宇宙のことは大人になった今考えても怖いし、その空間はどうやって生まれているのか考えているとどうしてか胸がザワザワする。

集合体恐怖症みたいに、宇宙恐怖症とか無いのだろうか。

 

思考の海を深く潜ると、簡単に抜け出せなくなって、側から見るとぼーっとしているように見えているようで、小さい頃は親や先生に「時々ぼーっとしていることがある」「アホみたいにぼーっとしてるのやめなさい!」って叱られたことがあるのを思い出した。

自分にとっては、頭の中は大忙しでフル回転しているのに…って思っていたけど、確かに側からみると、ぼーっとしているように見えるし、それはただの現実逃避の娯楽に過ぎなかった。

大人になってからはさすがに人前では思考の海に潜らないように頭を切り替える術が出来たけど、ひとりの時にいったん思考の海に溺れると、頭の電源を落としたいと思うことがある。

「頭を空っぽにしてみなよ」ってよくアドバイスされるけど、頭を空っぽにする過程でもはや「頭を空っぽにすること」について考え始めている。

 

この癖を誰かに相談してみたかったけど、現実に周りにいる人には誰も共感してもらえなかったから、文章にしてネットの海に流してみようと思う。

 

これをクォーターライフクライシスというらしい

最近、人生にそわそわする。

マイペースに自分らしく生きたいって思ってる裏側で、どう生きるのが自分の幸せなのか分からなくなっている。

 

自分の人生について考えるとき、ぼんやりとわたしはなぜか外国に行く気がしていた。

英語も話せないし外国でやりたいことも特に分かってないのに、どうしてか狭い日本の世界しか知らずに死ぬのは勿体無い気がしていた。

でも、今のところどういうきっかけでどこに行くのかすら全然分からない。

 

結婚については、何歳までに結婚してそうとかそんなことは全然予想がつかなかった。

周りの友達は「わたしは○歳の時には結婚して子供がいると思ってた」とかそういうことを一度は考えたことがあるらしいけど、わたしはもっとやりたいことがあって、自分の人生が大事で、結婚のことも子供のことも「他の人を支える」立場に切り替えて人生を考えるだけの余裕が無かった。

そのくせに、ひとりで生きていく自信がない。

だから、男性に生まれたかったとか思うのかもしれない。

 

仕事をしながら、平日の夜と休日にはステップアップの為の試験の勉強をする。もしくは友達と遊ぶ。そんなことをしていたら、あっと会う間に月日は過ぎていった。

周りの友達は結婚をして、子供も産まれたけど、

わたしは未だに学生の時に進路を決めるみたいに、自分の人生をどう生きればいいのか迷ってる。

恋愛だってろくにしていない。

見た目を磨いたところで、中身までちゃんと恋愛に適応していないと恋愛は出来ないんだって最近学んだ。

 

女性として幸せになることと、自分の人生を自分のために満足して生きることを両立できるのか分からない。

 

結婚できなかったら、って思うと怖いけど、わたしの人生を共に歩みたいと思える人がどんな人なのかも分からなくて、テキトーな人を選ぶくらいなら結婚したいのかどうかも分からない。

それなのに制限時間(だと思い込んでいる)は刻一刻と迫り来る。

 

どんな人生を歩めば幸せになれるんだろう。

 

 

っていう思い込み。

この葛藤をもうここ5年くらいはやってきた。

その間にも色んなことがあった。

 

悪いことしか考えられなくてとてつもなく寂しくなる夜は妙に決断力があって、良くないことも決断してしまいそうになるけど、ふいに誰かが書いた文章に触れて、あるべき自分に引き戻される。

そうやって朝を迎えて、あぁ救われたと思ったことが何度もある。

 

「人生はどうなるか分からない」って言葉が、昔は怖かった。怖いと感じる時は、人生が上手くいってると思うときで、それがいつか悪い方向に転じることを恐れているからだ。

でも、今はその言葉が救いのように感じる。

まだどうなるか分からない未来に期待をしたいと思っている。

そのくせに「ピアスを開けると運命が変わる」っていう迷信を信じて怖がってピアスを開けることを躊躇し続けている。

生まれた時からわたしの結末は運命として決まっているのだろうか。

きっと今ある現実も、努力して手に入れたように思えて、実は運命に導かれているだけなのかもしれない。

そう思うと、手に入れられなかったものを上手く忘れられそうだ。

 

誰と出会って、誰とどんな関係になるかも運命が決めているなら、最近した失恋のことを「自分が成長するための出来事」だと捉えて忘れてしまうしかないと思っている。

でも結末は同じにしろ、ちゃんと相手に気持ちを伝えたのはわたしの選択した行動で、気持ちを伝えていなかったら成長する機会を逃したことになるんだろう。

ここで経験しなかったことは、進む先を間違えた時のカーナビみたいに、新たなルートを検索して提示してくれるはずだから、また違う機会が待ってるんだろうと思う。

 

そうやって生きてると思うと、自分の人生がプログラミングされたゲームみたいに思えてくるけど、選択に伴う感情だけは本物みたいだ。

今は、怖いし、苦しいし、切ない。でもちょっと清々しい。

 

「こんなやり方でも前に進むのよ」って言い聞かせて今を進んでる。

戯言

深い呼吸を忘れていることにふと気づく瞬間がある。

最近「もう諦めた」と口にすることが増えた。

諦めないうちは、頑張ることに脳内が占領されて、失敗がとてつもなく怖くなるけど、諦めてしまって最初から何も無かったことにしてしまえば、もう考えなくて良くなる。

歳をとるごとに、もう前だけを見て突っ走ることが出来るだけの愚直さが無い。

それでも、本心は諦めきれていないのから、諦める努力をすることの方が苦しいのかもしれない。

ただ、わたしには出来ないことだと言い聞かせていればいつの間にか順応してしまう。

 

3年前の情熱は何だったんだろう。

頭には文章にしたい感情に溢れていて、感受性に溢れていて、目にするもの全てが創作の材料だった。

そんなことを言うと、ロマンチストみたいだけど、一度でも物語を書くことに快感を覚えたことがある人なら割と分かる感覚だと思う。

でも、歳を重ねるごとに、感受性を研ぎ澄ましながら生きることの愚かさがよく分かるようになった。

綺麗な夕焼けを見て涙を流したり、じっと月を眺めて考え事をしたり、切ないという感情を細かく分析してみたり、そんなことをしている間に、自分だけひとり置いていかれる感覚に近い。

 

自分の内面に目を向けて、自分と向き合うことが怖い。

受け入れ難い現実が目の前に現れたときに、ただその事実を受け入れるということだけでなくて、自分の感受性のフィルターを通して感情をいちいち受け入れる作業をしていたら苦しさが倍増する。

ベルトコンベアに載せられた事実をただ見送るように処理していけるならば、毎日が淡々と過ぎ去って行ける。

事実の表面だけを汲み取って「仕方ない」と流していける強さが欲しいけど、それが出来ないならばなるべく考えずに感じないでいることだ。

 

外に出ると、ちゃんと笑えて明るく元気に過ごせるはずなのに、自分の内面の扉を開けたら、どこか小さなところから湧き出る、誰かを羨んだり自分を卑下する感情と向き合わないといけないことを知っている。

それは全部、ほんとは誰かへの嫉妬心なんじゃなくて、自分への不満なのだ。

あれだけたくさんの感情を書き連ねてもなお、わたしの内面は自分への罪悪感でまみれている。

自分を肯定するという目標は、自分が努力してやっと得た「結果」のみによって癒されていく。

そんな自分のつまらなさがとてつもなく嫌だった。

 

努力しなくてもしたたかに欲しいものを手に入れられるような人生を送りたかったし、他人任せにしてニコニコ笑っていられるような女の子でいたかった。

誰かを本当に愛せて、誰かについていって、流されるがままの人生を送ることが幸せだと思える人に心からなりたかった。

目の前にあるものに喜べて、些細な幸せで心を満たせる人になりたかった。

今の自分と正反対の人間像を羅列したけど、

わたしがなりたいのは本当はそんな人達なのかもしれない。

 

自己満足で良かったはずのものが、どんどん自分の内側にだけ重く響くようになった。

 

人生に焦りがある。もっとやらなきゃ、もっと頑張らなきゃっていつも苦しい。

それだけ真っ直ぐ生きているということだ。

 

どうして生きてるのか、何のために生きてるのか。そんなことがずっと疑問で、ひたすら考えてきたけど、そんなの一生分かるはずがない。死ぬ時ですらちゃんと分かるのかは分からない。

「あなたはこんなことをするために生まれてきました」って言われたら、そんな使命感が息苦しくなるだろうし、「あなたがいないとダメ」って言われたら、わたしは自分のために生きなくなる。「いつでもどこにでも行っていいよ」って言われたら居場所を求めて彷徨う。

私だけじゃなくてきっとみんなそんな感情を持ってる。

 

最近、「これはあなたの人生だよ」と言われる言葉が重く響くようになった。

今までは誰かに評価されたい一心で生きてきたけど、評価されることで満たされるのは一時の感情だけだと気付いた。

そう、わたしの人生なのだ。

真正面から傷つきに行くのも、たった一言諦めると口にしてそのまま放り投げるのもわたしの人生だ。

 

文章を書かなくなってから、わたしは本当はネガティブな感情も、過去の傷を掘り返すことも、誰かを安心させるような文章も、無理矢理ポジティブに締める文章も書きたくないんだと気付いた。

誰かの心を掴むアイデアも技術も持ち合わせていない。

だから、もう誰かに読んでもらうことは諦めた。

 

本当は深く傷つくことよりも、燻った感情をずっと握りしめている方が苦しいんだと気付いた。

凝り固まった自分の価値観を動かしたいなら、深く傷つきに行くのも悪くないのかもしれない。

いつの間にか咲いていたサクラはいつの間にか散っていく

怒涛の春の始まりだった。

3月は幻のようだとどこかで見たが、ほんとうにその通りで色んなことを片付けながら、どこかふわふわした気持ちで過ごしていた。

4月に、一昨年の10月に新採として入ったいちばん最初の部署から異動することになっていた。

今ある仕事の引き継ぎ作業をしながら、その場所で築いた職場の人との関係性を思っては寂しくなった。いつもならちょっと憂鬱な気分で向かう通勤電車から見える車窓も感慨深く思えたし、いつもなら疲れ果てて寝ている帰りの電車からも外を眺めては、そういえば仕事の後に景色をぼーっと眺める時間が自分の心をリセットさせていたことを思い出していた。

ここぞとばかりに、同期と飲んだりお花見もした。

どうして別れの季節に近づくにつれ急に人との距離が縮まったように思えるんだろう。あんなに時間はあったはずなのに、お別れだと思うと寂しくなるからだろうか。

最終日まで慌ただしく引継ぎ作業をして、定時を過ぎた頃にやっと身の回りの整理を始めた。

19時頃になって、ようやくキャリーケースに荷物を詰め終わったのに、名残惜しくて同じ場所を何度も忘れ物確認にウロウロしながら、そろそろ本当に立ち去ろうと覚悟を決めて、まだ半分くらいの人が残っていた執務室を出て「本当にお世話になりました。ありがとうございました。」と頭を下げた瞬間涙声になった。

帰り道はちょっと泣きながら帰った。

2〜3年で異動を繰り返す職場だから、何度も異動を繰り返すうちに何にも思わなくなるんだろう。

何も分からなかったゼロから今の自分になるまで育ててくれた場所だから余計に寂しかった。

 

4月になって新しい部署に着任した。

前日までは温かい場所で感謝と寂しさで泣いていたのに、たった一夜が明けただけで、とんでもないところへ来てしまったと思った。

わたしは2年半でだいぶ仕事が出来るようになったと思っていたのに、今まで一体何をしていたんだろうと思わされた。

初日はパソコンの設定くらいしか出来ないだろうと言われていたのに、着任して1時間も経たないうちに、パソコンの設定終わりました?って聞かれて、他人の名前を覚えるのがすごく苦手なのに、一瞬で部署の人の名前を覚えなきゃやっていけなかった。午後には、今までもそこにいた人みたいに当たり前に仕事をしていた。

今まで全くしてこなかった残業が、初日から毎日当たり前になった。

正面玄関が閉まった時の通用口がどこにあるのかすら分からない建物の中で、刺激が欲しくて忙しい部署に行きたいと思った自分を呪いながら帰った。

次の日は休日だったけど、二日酔いの次の日みたいにずっと頭がふわふわしていた。

それでもしばらくはアドレナリンに助けられて、前のめりに早く環境に順応しようと奮起していた。

頭と身体はヘトヘトだけど、心は割と何も感じていなくて大丈夫だと思っていたけど、昨夜布団に潜り込んだ瞬間に涙が溢れてきて、ようやく感情が戻ってきたと思って安心した。

そういうときの涙は、辛いというよりも、やっと緊張が解けてきて心が起動し始めた証だ。

1週間が経って、やっと少し自分がやっていることの意味が分かってきた。

 

いつの間にか咲いていたサクラがいつの間にか散っていく。

今まで、春になるとどうしてか体調を崩したり、心のバランスが崩れる気がするから、春が嫌いだった。別れと出会い、おわりとはじまりが一度に押し寄せるエネルギーが耐えがたかった。

でも、別れや終わりに悲しくて、出会いに期待して、始まりに振り回されることが出来る感情は案外貴重なのかもしれないと、大人になって思った。

 

 

 

 

 

もうすぐ桜が咲く季節の匂いがして、春は近い。

3月XX日

4月からの異動先が決まった。

今の部署は、採用されていちばん最初に着任した部署。社会人になってもう2年半経つんだと思った。わたしは同級生から半年遅れた10月採用だから正確には10月で1年間が切り替わるけど、もう4年目になるんだと思うと、高速道路の車窓から景色を眺めるように過ぎて行った日々だった。いつの間にか何年目というのも数えなくなるんだろう。今の部署は絶対定時で帰れるし、上司にも先輩にも同期にも恵まれて、職場環境で辛いと思うことは何もなかった。

でも、毎日決められたことをこなして給料を貰って何事もなく過ぎ去って行く日々に、こうやって歳をとっていくんだなってちょっと悔しくなる。

次の異動先は、残業も多そうで、今よりも精神的にも肉体的にもかなりハードになりそうだ。

潰れるかもしれないし、意外と大丈夫かもしれないし、自分がどうやって順応していくのか分からないけど、新しい環境に行くことはすごく楽しみだ。今年は激動の1年になるだろうと予想している。

 

3月XX日

コロナの世の中になって、楽しみな予定もキャンセルになる未来が見えていたから計画も立てなくなったし、会いたい人にも会いたいと気軽に言えなくなった。

周りの友達がどんどん結婚していって、あぁ、一緒に生きていく人を決めたんだなと思って祝福の気持ちと共に少し羨ましくなった。

一緒に生きていくということは、「他人」という線引きの内側にちゃんと入ることができて、そして相手を入れてあげることができるということだ。

わたしは小さい頃は全然友達が作れなかったのに、高校、大学、そして社会人になるにつれ社交性が高くなっていったのは、「他人」という線引きがちゃんと引けるようになったからだと思う。踏み込ませるところ、相手に踏み込んでいいところがきちんと明確だから、人のことが怖くなくなった。

ひとりでいたいわけではないのだったら、その線引きを外す方法も心得ておけと言われるけれど、

踏み込ませた先のわたしを見せるのが怖い。

心を許した人に傷つけられるのが怖い。

だから、本当は踏み込んでみたいと思う人にも、少し手を広げた距離感を持って接してしまう。

本当は、多少傷ついたくらいじゃ何ともないくらいわたしは強いはずなのに、もったいないよね。

 

3月XX日

社会人になって、ちゃんと自分のことが理解できて、感情が湧きにくくなった。

「諦める」ということを要領よくできるようになって、感情が溢れ出て理性を失うことがないように、蛇口を開け閉めして管理できるようになった。

わーっと泣きたい夜も、次の日に目が腫れる心配をするとすぐに涙が引っ込む。

感情的に怒ることはほとんど無い。我慢ならないことがあっても、ただひたすらに悲しくて、怒るほどの衝動が湧き上がらないからだ。

文章を書き始めたときは、表現したい感情がたくさん心に溢れていて、「表現する」ということに心から興味があった。でも、音楽もダンスも絵も表現できるまでの技術を持っていないから、文章しかない。

そうやって文章を書き始めて、わたしは「文章を書く」ということを趣味のように思っていたけど、わたしの文章は感情ありきだった。

感情が動かないから、表現したいことも言葉も何も出てこない。

だから、よく「感情を動かすために」ひとりで映画を観に行くようになった。映画に浸りながら、我慢せずに涙を流して、余韻や考察に浸りながら誰と話すでもなくひとりで帰るのが、サウナの後みたいに気持ちいい。

それでも、わたしは人よりも少し強い感受性を持っていて、世の中の色んなエネルギーを感じながら生活をしている。

心のどこかで言葉に出来ない感情をもっている気がするし、わたしはまだ、わたしという人間を表現し尽くせていない今の自分を、ゆで卵の薄皮がついた状態みたいに思うことがある。

文章にするのか他の手段を試すのか分からないけど、わたしの今本当にしたいことを問われたら、やっぱり変わらず「表現する」ということをしたくてたまらないんだと気付いた。

 

3月4日

友人が久々に更新した日記を読んで、気力をもらった。最近SNSからぱったりといなくなった友人のことを少し心配していたし、日記を読んでも心配したけど、自分はこうしたいという野心があって何かに打ち込むことができる集中力を持っている友人を尊敬すると共に羨ましく思った。

わたしにも叶えられていない野望がたくさんある。職場の試験に合格してやりたい仕事をしたいし、願わくば、海外に留学もしてみたい。今、趣味としてやっている二胡中国茶を続けて、何らかの形にしたい。結婚はしたいけど「自分の人生」というものを強く持っているがゆえに、各々の人生を並走できる人と結婚したい。これからもっとやってみたいことがたくさん出てくるんだろう。叶うか分からないけど、言葉にしなければ叶うことはない。やってみたいことを語りながらお酒を飲みたい。

 

 

 

 

ぼんやりしているうちに季節は変わった

日曜日

ずっと行きたかった鶴舞中国茶のカフェにようやく行けた。お茶の種類が豊富で普段あんまり飲まないのにしようと思ったけど、ちょっと暑かったから、白茶の白牡丹を注文した。

今まで中国茶がぼんやり好きだったけど、2021年は中国茶との縁がすごくあって、素敵な先生と出会って中国茶を本格的に習い始めたり、別に講座に行けたり、たまたま訪れたお店が毎月通う場所になったり、お茶についてすごく勉強できた年だった。これがやりたい!と望めば叶えられるし、やっぱり縁というのはあるらしい。

 

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月曜日

最近自分の人生についてよく考える。

わたしは今24歳だけど、20代半ばという年齢の相応しい生き方が分からなくなった。大学を卒業して、周りより半年遅れで仕事に就いて、仕事に慣れていってと何やかんややっていたら知らない間に24歳になっていたけど、周りの友達は結婚ラッシュだったり、学生時代実家暮らしだった人が一人暮らしを始めたり、ふるさと納税とか積立NISAを始めたとか資産運用の話をしていたり、自分の生活や人生についてちゃんと進めている。それなのにわたしは、一体何から手をつけていいか分からず、やりたいことだけやってぼんやり生きている。一人暮らしが始められるのか、結婚して初めて家を出るのか、そもそも結婚をするのか。生活の環境が大きく変わるのはいつなんだろう。いざ、変わったときにわたしは色んなことをちゃんと出来るのか。不安で仕方なくて、最近はそんなことばかり考えている。

 


火曜日
毎朝一話ずつやってる韓国の時代劇を録画したのを寝る前に観る日課が出来た。寝る前に楽しみがあるとちょっと充実した気持ちで眠れる。わたしは小さい頃から何故か時代劇が好きで、おじいちゃんおばあちゃんと毎日観ていた。多分松平健とか昭和の俳優さんの顔(キリッとした顔?)がタイプだ。時代劇が好きって人に話したら渋いねって言われるし会話が拡がらないから言わないけど、どうやら昔の文化とか武術とか剣術に興味があるんだと思う。「武士が好きだったんだよね」って友達に言ってみたら「お侍ちゃん?」って返された。いや、そうじゃないのよ。

 


水曜日
『「私可愛くないんです」に対して「可愛いよ」って返すと「どこがですが?私は可愛くないと思う」って言うけど、「そうだね」って返すと「ひどい…どこが可愛くないんですか?」って言うタイプの女の子』に対して、ひとこと「ソクラテスか」って言った先輩のセンスに爆笑した。
ソクラテスが現代にいたら絶対めんどくさい人認定されてると思うけど、わたしの脳内でも常にソクラテス式問答法をやってる。

例えばさっきの自分の可愛げについてだって、それから街の中で見つけた意図が分からない看板の存在意義についてだって、とても人には問わないけど自分の中では随分と問答法をやった。
そういえばミルクボーイのネタもそんな感じだ。
実はみんなソクラテスなのかもしれない。

 


木曜日
昨夜は疲れすぎて22時半には眠れた。普段は5時間半くらいしか寝れていないけど、7時間睡眠をきっちり取ったら、びっくりするくらい頭が冴えていたし全然身体が重くなかった。わたしはずっと睡眠を疎かにしてきたけど、一日の質を良くするためにはやっぱり睡眠なんだなって思った。
何だかよくない考えが浮かぶようになってきたら、とにかく寝たほうがいい。


金曜日

名古屋のシンボルのナナちゃん人形が、水曜日から不在になっている。もう48年間も何度も着替えをしながら名古屋駅に立ち続けているから、一度綺麗にするために京都に運ばれたらしい。ナナちゃん人形って検索したら、「臨時休業」って出てきて、そうか、ナナちゃんは24時間営業を48年間もやってきたのかって思った。ナナちゃんが不在の間は代わりに妹のミナちゃんが立っている。ナナちゃんは16mだけど、ミナちゃんは1mしかない。ちっちゃくて可愛い。

 

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土曜日
中国茶二胡と、趣味が中国文化のものばかりだし、今度は中国語を勉強しようと思い立って、本屋さんで中国語のテキストコーナーにいたら、年配女性に話しかけられた。
彼女は大学で英語のグラマー(文法)を専門的に教えている教授らしいが、50歳近くなってからケンブリッジ大学に留学をしたらしい。
グラマーは専門だけど、英会話は毎日朝ご飯の準備をしながらNHKのラジオ英会話を聴き流して、実際にロンドンへ行って現地の人達と話すことで身につけたと言っていた。
どうしてわたしに話しかけてくれたのかは分からないけど、それからしばらくイギリスの話とかイギリスで作った友達の話を聞かせてくれて30分は話していた。
話を聞きながら、英語を話せるようになりたいと色々挑戦してきたけど、その度に苦手意識で何度も挫折してきた悔しさを思い出した。英語は好きだけど理論で理解するグラマーはどうしても苦手で受験でも最も苦しめられた教科だった。
「わたし何度も英語に挫折してきたんですよ。大学時代、外国人に英語で観光地をガイドするサークルに入ってみたり、英会話教室に行ってみても、自分の言いたいことが全然言えないもどかしさに絶望しちゃって。苦手意識が強いんです。」
そう言うと、彼女は「まずは単語をたくさん覚えること。これが出来なきゃ始まらない!そして、リスニング!NHKのラジオ英会話からで良いから、毎日聴くの。そして何を言ってるかが分かるようになったら後はこっちのもんだよ」「あなたは若いんだからすぐ出来る!今日からでも始めれば変わるよ!」とアドバイスをくれて「色々お話ししちゃってごめんね。楽しかったわ。Have a nice day!」と言って去って行った。
そっか、英語が話せればどんな国の人ともコミュニケーションが取れるんだよなって改めて思った。彼女に偶然出会ったおかげで、もう一度英語に挑戦する勇気が出てきた。中国語もやるけど。
あんなに爽やかなHave a nice dayは初めて聞いた。偶然の出会いやきっかけが後々大きな意味をもたらしてきたわたしの人生。彼女に偶然話しかけられたことは、ぜひその伏線にしたい。