人生

わたしは最近、泣いても仕方がないことで泣くのが嫌になった。泣いても1ミリも解決しないのにメソメソしている自分を客観的に冷めた目で見るようになったからだ。それなのに、今めちゃくちゃ泣きながら文章を打ってる自分がダサい。
でも、誰かに話そうとすると、泣けてきて全く何も話せなくなるし、気を遣わせてしまうから
ひとりでこうやって書いている。


仕事の、事務官から書記官になるための試験に落ちた。
職場では平然を装わなきゃいけないし、無理矢理切り替えて来年頑張ろうって思って今日一日明るく振舞いながら仕事をしていたけど、家に帰ったら涙が止まらなくなった。
すごく、悔しかったし、自分が情けなかった。


毎年7月に行われてる筆記試験だけど、今年に入ってからずっと仕事終わりに2時間職場に残って勉強したり、毎週土日も遊ぶことなく勉強していた。
社会人になってもわたしはずっと試験に追われてるんだなって思った。
でも受からなきゃ未来がなくて、今の仕事で満足できるわけもなかった。
合格したくて、でも、何となくこの結末が頭をよぎって、GW過ぎたあたりから毎日怖くて不安だった。
今年も不合格だった。
一緒に勉強していた同期や友達は合格して、わたしだけ取り残される。


あぁ、わたしの人生だなって思った。
もう何度もこれを経験しすぎて、はいはい、このパターンねって呆れる。
何でいつも頑張ってもすんなり上手くいかせてもらえないんだろう。
いつもこのパターンの自分の人生が嫌になる。
これから、書記官になるために準備を始める同期と、また振り出しに戻る自分の対比に足がすくむ。
必死に息継ぎをしながら溺れないように泳いでるみたいな自分の人生が、本当に嫌になる。


努力しながら不安になっているときは大抵いつも上手くいかない。
わたしはすぐに周りの人と比較してしまう。
やばい、同期の子はこんなに出来ているのにわたしは全然出来ていないとか、あの子はあんなに頑張っているのにわたしはいまいち、モチベーションの波に乗れていないとか、本当は内心、焦りと自分への苛立ちで、上手くいっていないことが分かっていたんだと思う。
つくづく、理想と現実の能力の差に気付いていない。
本当はそんなに出来る人間じゃないのに、周囲の出来る人間に囲まれすぎたせいで、自分がそんなに優秀じゃないってことを忘れていた。
泣いているのは多分、努力したのに報われないからっていうよりも、自分の頭の悪さとか効率の悪さとか、自分に対する失望感と苛立ちを感じたからなんだろう。


だって、正しく効率的に積み重ねた努力は、ちゃんと報われることをわたしは知っている。
だから、この結果は、努力はしたかもしれないけど、その努力の仕方が間違っていたんだよという現実を突きつけられたに過ぎない。


感情と思考は切り離されていて、感情でわーって泣いている中、思考回路はいたって冷静なんだなと思う。
脳内で、「泣いている暇があったら、自分のやり方をとことん見直せ」とか「感情に振り回されないで、現実を見直しながら淡々とやれる人がうまくいくんだよ」とか色んな言葉が降ってくる。
この失望感を人生で何回もやってきたからなんだろうと思う。
人間って、疲れ果てて感情がいっぱいいっぱいで苦しい時こそ、必死でポジティブな思考や、活路を捻り出すものなんだなって思った。


立ち直るために、誰かに慰めてほしいのか、喝を入れてほしいのか、放っておいてほしいのかすら分かっていないけど、ひとこと「まだ頑張れ」って言ってほしい。

 

来年こそ絶対合格する まじで頑張る