ひとりごと

26歳になってから人生に迷うようになった。

周りの友達の恋バナはみんな「もう遊ぶ歳じゃないから」「今の彼氏と結婚したい」って言う話。

でも、歳上の女性に相談すると「まだ若いから焦らなくていいよ」っていう。

去年から結婚ラッシュが始まって、周りの友達がどんどん結婚してどんどんお母さんになっていく。

良いなぁって思うけど、その良いなぁは結婚相手を探すためにもう頑張らなくて良くて良いなぁなのか、お母さんになれて良いなぁなのか、人生が新しいステージに進んで良いなぁなのか本音が全く分からない。

全部本音だし、でもどこかでまだ自分だけのためにやりたいことが山積みな気がする。

 

そもそも、わたしは結婚できるのか。

今までさほど異性から異性として見られて選ばれてきたことなんて無いじゃないか。

彼氏すらまともに出来ないじゃないか。

初手は良いけどみんな友達みたいになって終わるから、接し方直さなきゃとか色々考える。

でも、昔から「異性」として好かれることがすごく怖い。

自分が女性であることを拒否してるとか、男性的だとかそういうんじゃなくて、わたしは女性だし可愛いって思われたら素直に嬉しいんだけど、でも、「異性」という枠組みで好かれるのが怖い。

恋愛は「異性としての好き」をベースに成り立つものなのに、何だかそれはすごく脆くて良い面しか見ていない気がするのに、いざ恋人になったら誰よりも近い存在になるのが純粋に不思議でたまらない。

わたしの女性的な面とわたしの人間の本質は違うから、人間の本質を見せたときに嫌われるのが怖い。

出来れば女性的な面は後出ししたいんだけど、それだともちろん恋愛が成り立たないから、わたしの人間的な面で接する「友達」だけが増えていく。

人間モードをちょっと奥にやっておかなきゃ恋愛出来ない。

小手先のテクニックが使えない。

 

異性のことを恋愛的な意味で好きになるし、欲望も欲求も持ってるんだけど、いつの間にか「異性として」じゃなくて人間として好きになってる。

多分その人が同性だったとしても、好きになるんだろうなって思う。

 

 

そういえば、「すごく好きだったなぁ」が脳内の口癖みたいになってる。終わった片想いはさっさと忘れた方が楽なのに、好きだった人に彼女出来たって聞いたら多分内心すごく悲しくなる。素敵な人だから彼女ができるの当たり前だし、人の幸せは願った方が良いんだし、悲しくなる権利も無いのに悲しくなる。

 

勇気を出して気持ちを伝えたこと、思い返して「よく言った!」って思う日もあれば、とんだエゴの押し付けだったって思う日もある。

付き合えなかったからとかじゃなくて、私じゃ無いんだよなっていう選ばれない現実に、独りよがりな自己肯定感が崩れていく気がして悲しくなる。

きっとすごく好きだったのは、その人自身じゃなくて、片思いっていうフィルター越しの瞳で見ていたその人なんだよなって思うと、ちょっと気持ちが楽になる。

 

 

前に友達と占いに行ったら、「結婚は32。ちょっと遅いけど、でもすごく幸せになれるよ」って言われた。

そういえば、32っていう年齢今までめちゃくちゃ聞いた。一時期占いにハマってた時期に、他の何人かにも言われた。

そこまで言われると本当に32なのかもしれない。

その時は、理想よりちょっと遅いなって思ってた。出来ればみんなが結婚する頃くらいに自分もちゃんと結婚していたいと思っていた。

それは、心から結婚したいんじゃなくて、自分もそうしていれば焦ったり嫉妬したりそんな感情を抱かなくて済むかもしれないって思ったから。

 

でも、まだ今の自分に将来ずっと一緒に生きてく人を選べる自信がない。

自分が成熟しないと選ぶどころか理想とする人に釣り合わない。

楽しいことも苦しいことも、もっと色んな経験をちゃんと積むんだよって思う。

 

仕事では毎日同世代の離婚の話ばっか見てる。

でも、離婚するから失敗だとか悪いとは思えない。

わたしの親も離婚してるけど、昔の記憶にある毎日辛そうな顔してた母親よりも今の母親の方がずっと幸せそうだから。

そもそも今の世の中「一緒にいる」の方法も多様化してるんだなってすごく感じる。

 

だから、選択肢がすごく多い。

結婚したいのか、どこまで仕事したいのか、子供が欲しいのか、どうやって生きたいのか。

子供産みたいなら出来れば早い方が良いって言われる。

何で男性は30でも40でも良いのに、女性はまだ若すぎる10代20代のうちから結婚を意識せざるを得ないんだってちょっと腹を立ててたこともある。

思うと、わたしの母が結婚した歳はとっくに通り過ぎたし、今のわたしの年齢で母はお母さんになったって思うと、母が来年の誕生日を迎えたら、母は、「娘として生きた時間」よりも「母として生きた時間」の方が長くなる。

母ってすごいなって他人事みたいに思ってる自分がいる。

 

考えてもその通りにはいかないのは分かってるけど、成り行きに任せられるほど軽くないし、私の人生はどうやら自分が決めて動き出さないと成り行き任せでは決して動かない人生だってよく知ってる。

まだ何にも分かんないのに、選択ができる時間の猶予がどんどん迫ってきて、どうするんだろう。

 

ひとりで歩いてる時の考え事が、最近そうやって現実味をおびてきた。