思考の海を深く潜る癖

「思考の海を深く潜る」癖がある。

それはあまりぼーっとしている瞬間には起こらないけど、ひとりで街を歩いている時とか、読書をしているのになぜか気がそれた時とか、布団に入ったのに寝付けず寝返りを繰り返している時に突然起こりうる。

例えば、「友達が結婚した!」っていうニュースがあったとして、それはとても喜ばしいことで幸せになってほしいと思うんだけど、ふと自分に焦点を当てた時に「自分の幸せとは?」って考えたりする。そしたら、「幸せの定義とは?」って考えだして、わたしが思う幸せの定義は今のところ「自分を偽らなくていい生き方をすること」だと思うんだけど、そもそも「偽らなくてもいい自分」って「今生きてるうちのどの部分の自分のことをいうんだろう」って考え始めて、「これからどうやって生きていくんだろう。5年後は?10年後は?」って考え始める。

これはまだ海の浅瀬の部分で、自己探索と将来への不安がミックスジュースになっている部分だ。

まだ、「まぁ、なるようになるだろう」って思ってしまえば思考をやめられる。

でも、ここからどんどん深く潜っていくと、「結婚をするとしたら、愛するということが根本となるのだろうか」

「今自分が結婚したいと思える人と出会ったとして、今の自分が持っているものでその人を愛することが出来るのか、それとも関係性の中で生まれていくものなのか」

「そもそも愛とは色んな種類があるけど、結婚に適合する愛とは何だろうか。別の種類の愛を持っていたらそれは恋愛とはどう反するのだろう」

とか、哲学なのか屁理屈なのかよく分からない思考に辿り着く。

ここまで来ると、例え考え尽くしてある程度の答えが出たとしても、それは暫定的なもので、例えば翌日にたまたま「ある本を読んで内容に感銘を受けた」という経験だけで、自分の中に新しい考え方が生まれて物事の考え方が変わることがあるから、答えに辿り着くことなんて一向に無い。

 

そういえば、まだ小学生の頃、寝る前に「人はいずれ死ぬこと」「地球の外には宇宙があるけど、宇宙は全く得体の知れない空間で、宇宙の外側には何もない」っていうことを考えてたら怖くなって眠れなくなって、母のところに泣きながら行ったことを思い出した。

幼かったから自分がどうして泣いているのかを上手く説明出来なかったけど、母親から「今をちゃんと大切に生きるんだよ」って慰められたのを覚えている。

実は、宇宙のことは大人になった今考えても怖いし、その空間はどうやって生まれているのか考えているとどうしてか胸がザワザワする。

集合体恐怖症みたいに、宇宙恐怖症とか無いのだろうか。

 

思考の海を深く潜ると、簡単に抜け出せなくなって、側から見るとぼーっとしているように見えているようで、小さい頃は親や先生に「時々ぼーっとしていることがある」「アホみたいにぼーっとしてるのやめなさい!」って叱られたことがあるのを思い出した。

自分にとっては、頭の中は大忙しでフル回転しているのに…って思っていたけど、確かに側からみると、ぼーっとしているように見えるし、それはただの現実逃避の娯楽に過ぎなかった。

大人になってからはさすがに人前では思考の海に潜らないように頭を切り替える術が出来たけど、ひとりの時にいったん思考の海に溺れると、頭の電源を落としたいと思うことがある。

「頭を空っぽにしてみなよ」ってよくアドバイスされるけど、頭を空っぽにする過程でもはや「頭を空っぽにすること」について考え始めている。

 

この癖を誰かに相談してみたかったけど、現実に周りにいる人には誰も共感してもらえなかったから、文章にしてネットの海に流してみようと思う。