怒涛の春の始まりだった。
3月は幻のようだとどこかで見たが、ほんとうにその通りで色んなことを片付けながら、どこかふわふわした気持ちで過ごしていた。
4月に、一昨年の10月に新採として入ったいちばん最初の部署から異動することになっていた。
今ある仕事の引き継ぎ作業をしながら、その場所で築いた職場の人との関係性を思っては寂しくなった。いつもならちょっと憂鬱な気分で向かう通勤電車から見える車窓も感慨深く思えたし、いつもなら疲れ果てて寝ている帰りの電車からも外を眺めては、そういえば仕事の後に景色をぼーっと眺める時間が自分の心をリセットさせていたことを思い出していた。
ここぞとばかりに、同期と飲んだりお花見もした。
どうして別れの季節に近づくにつれ急に人との距離が縮まったように思えるんだろう。あんなに時間はあったはずなのに、お別れだと思うと寂しくなるからだろうか。
最終日まで慌ただしく引継ぎ作業をして、定時を過ぎた頃にやっと身の回りの整理を始めた。
19時頃になって、ようやくキャリーケースに荷物を詰め終わったのに、名残惜しくて同じ場所を何度も忘れ物確認にウロウロしながら、そろそろ本当に立ち去ろうと覚悟を決めて、まだ半分くらいの人が残っていた執務室を出て「本当にお世話になりました。ありがとうございました。」と頭を下げた瞬間涙声になった。
帰り道はちょっと泣きながら帰った。
2〜3年で異動を繰り返す職場だから、何度も異動を繰り返すうちに何にも思わなくなるんだろう。
何も分からなかったゼロから今の自分になるまで育ててくれた場所だから余計に寂しかった。
4月になって新しい部署に着任した。
前日までは温かい場所で感謝と寂しさで泣いていたのに、たった一夜が明けただけで、とんでもないところへ来てしまったと思った。
わたしは2年半でだいぶ仕事が出来るようになったと思っていたのに、今まで一体何をしていたんだろうと思わされた。
初日はパソコンの設定くらいしか出来ないだろうと言われていたのに、着任して1時間も経たないうちに、パソコンの設定終わりました?って聞かれて、他人の名前を覚えるのがすごく苦手なのに、一瞬で部署の人の名前を覚えなきゃやっていけなかった。午後には、今までもそこにいた人みたいに当たり前に仕事をしていた。
今まで全くしてこなかった残業が、初日から毎日当たり前になった。
正面玄関が閉まった時の通用口がどこにあるのかすら分からない建物の中で、刺激が欲しくて忙しい部署に行きたいと思った自分を呪いながら帰った。
次の日は休日だったけど、二日酔いの次の日みたいにずっと頭がふわふわしていた。
それでもしばらくはアドレナリンに助けられて、前のめりに早く環境に順応しようと奮起していた。
頭と身体はヘトヘトだけど、心は割と何も感じていなくて大丈夫だと思っていたけど、昨夜布団に潜り込んだ瞬間に涙が溢れてきて、ようやく感情が戻ってきたと思って安心した。
そういうときの涙は、辛いというよりも、やっと緊張が解けてきて心が起動し始めた証だ。
1週間が経って、やっと少し自分がやっていることの意味が分かってきた。
いつの間にか咲いていたサクラがいつの間にか散っていく。
今まで、春になるとどうしてか体調を崩したり、心のバランスが崩れる気がするから、春が嫌いだった。別れと出会い、おわりとはじまりが一度に押し寄せるエネルギーが耐えがたかった。
でも、別れや終わりに悲しくて、出会いに期待して、始まりに振り回されることが出来る感情は案外貴重なのかもしれないと、大人になって思った。