ミュージックプレイリストはひた隠し

自己紹介とか、初めましてに近い人に、好きなアーティストは?って聞かれたら、「特にいないけど最近の曲は結構知ってる」って答える。くそつまんない奴だ。

せっかく話のきっかけにしようと思って聞いてくれてるのに、ごめん。

上手くその魅力を語れないのが嫌で、それならいっそ語らないほうが良いと思ってついついはぐらかしちゃう。

 

でも本当はイヤホンしてなきゃ落ち着かないくらい音楽を聴く。

King Gnuの曲は全部ダウンロードしたし、椎名林檎は聴きながら眠ると脳が興奮して結局寝れないし、大ファンの友達に連れられて学園祭のライブを見たときに初めて女々しくて以外の曲を聞いたゴールデンボンバーは、最初はちょっと馬鹿にしてたけど、よく聴いてみると分かりやすいのに共感しかない深い歌詞と鬼龍院翔人間性がドツボにはまって全部聴き尽くした。

ヨルシカとか、ずとまよも、コレサワも、おさえてる。

ドルチェ&ガッバーナの店の前を通り過ぎるときに、ドールチェアーンドガッバーナ↑のフレーズちゃんと出てくるし。

 

昭和歌謡曲や渋い曲も大好きで、朝の通勤電車なのに「神田川」とか「あずさ2号」を永遠リピートしてる時もある。

格好だけはOLで、眠そうに電車に揺られてる23歳女子のイヤホンの中で「お前も蝋人形にしてやろうか」って悪魔が叫んでる日も度々ある。

何でそのチョイス?って、デーモン閣下が何か好きだから。

マスクをしていて顔が隠れてることを良いことに、2回目の「お前も蝋人形にしてやろうかー!!」でテンションぶち上がる。

帰りの電車は小田和正と百恵ちゃん。

夕焼けをバックに近鉄に揺られながら聴く小田和正は、永遠に青春って感じ。

中学生の時、いいちこのCMで流れてたビリーバンバンの「また君に恋してる」に惚れ込んで、お母さんに「この曲のCD欲しい」って言ったら「そんなのあるわけないでしょ」って爆笑されたけど、まさかの、その年の紅白に出てたじゃん。

昭和は良かったなぁって思うけど、わたし平成生まれ。

 

でも、わたしのいちばん語りたくないアーティストは、中島みゆきだ。

語りたくないくせに、エラそうにこのブログに語ることをどうか許してほしい。

いつかnoteに書きたいと思ってたけど、中島みゆきをnoteでしっかり語れるほど、まだわたしは人生を生きていないから、ここで雑談させて欲しい。

 

色んな人生の局面の思い出に必ず中島みゆきの曲がいる。

色んな人が「糸」とか「時代」をカバーするのを聴くけど、どれも違う、これじゃないと思う。いくらカバーをしていたのが自分の好きなアーティストだったとしても好きになれない。

「糸」も「時代」も余計な感情を込めてはいけない。飾りのビブラートも変な抑揚もいらない。

「回る回るよ時代は回る」

誰にも媚びずに淡々と歌われるからその曲達が響くんだと思ってる。

時代が回るという事実にもはや余計な解釈はいらない。

 

中島みゆきは歌手であると共に詩人だ。

もはや曲をつけずとも詩としてちゃんと成り立つ彼女の歌詩に、綺麗事はない。

ちなみに歌詞を集めた詩集も売ってる。本屋で見つけて即買いした。

選びきれないけど、個人的に特に好きをあげるなら、

「夜行」と「命の別名」そして「宙船」。

強め曲が好み。

この3曲は常に頭の中に流れているし、よく口ずさむ。特に好きな部分をあげるけど、聴くたびにその解釈は変わる。

 

『夜行』から、

「夜さまよう奴は、まともな帰り先がないせいだと憐れみを受けている 

ふところに入れた手は凶暴な武器を隠しているに違いないと見られる

本当は散りそうな野菊を雨から隠してる

わざと胸をあけてバカをやって凍えきって風邪をひく

夜行の駅で泣いているのはみんなそんな奴ばかり」

 

『命の別名』から、

「たやすく涙を流せるならば

たやすく痛みも分かるだろう

けれども人には笑顔のままで泣いているときもある」

 

『宙船』から、

「おまえが消えて喜ぶ者に、おまえのオールを任せるな」

 

特に『宙船』の「おまえが消えて喜ぶ者に」は、おまえを私に置き換えると、「私のことを消えて欲しいと思ってる人に」なのか「私自身が消えて欲しいと思っている人に」なのかで、だいぶ意味が変わる。似たシチュエーションにぶつかる度にこのフレーズを思い出す。未だに正解は分からない。

 

共感を得ようとか、よくあるエモいシチュエーションを盛り込もうとか、売れようとか、そんな思惑が透けて見えずに、淡々と感情を硬い鉛筆でカリカリと書くような容赦ない表現がいい。

どうか中島みゆきの歌を歌うなら、媚びずに淡々と歌ってほしい。

 

でも、人生を歌う曲よりも、彼女が得意なのは失恋ソングなんだと思う。さっきの強気の歌詞とは打って変わって、メンヘラ要素満載の曲もある。どんな恋愛をしてきたんだろう。

どこかで読んだけど、1回の失恋があれば100曲は書けるらしい。

とても中島みゆきの足元には及ばないけど、失恋を作品に昇華出来るのは、かく人(書く、描く)つくる人(作る、造る、創る)の特権だ。

クリエイター万歳。

わたしは、ろくに今彼も作れないくせに、ずっと「元彼」という存在が欲しいと思っていたんだけど、それは、思い出すたびにどうしようもない感情になれそうだから。

バンドマンじゃないけど、わたしが将来、大恋愛か、めちゃめちゃ落ち込む失恋をしたら、長編小説にしてやる。ポエムじゃ許さない。(ニュータイプのメンヘラ)

でも、タバコと香水ときみの温もりが残ったシーツだけは登場させないと決めている。

 

中島みゆきの失恋ソングは、どんなタイプの失恋にも響く。

中島みゆきは、古びた喫茶店の一角でひとりあの人を思い出しながら、仕方ないわねって思う女にもなれば、ドアに爪で優しくされてただ嬉しかったと書く、ちょっと後を引きそうな怖い女の気持ちにもなれる。

 

『化粧』

「化粧なんてどうでもいいと思ってきたけれど今夜、死んでもいいからきれいになりたい

こんなことならあいつを捨てなきゃよかったと

最後の最後にあんたに思われたい」

 

『うらみ・ます』

「ふられたての女くらいおとしやすいものはないんだってね

ドアに爪で書いてゆくわ やさしくされて唯うれしかったと」

 

『後悔』

「日付変更線を越えてあなたは戻って行ける

私と出会う前の日々へ ためらいもなく戻って行ける 大切なことはいちばん後に気がつく

心の扉にかけた鍵を 捨てられなくて気がつく」

 

『わかれうた』

「途に倒れて だれかの名を

呼び続けたことが ありますか

人ごとに言うほど たそがれは

優しい人好しではありません」

 

本末転倒だと思うけど、中島みゆきの曲を聴いてると、恋愛よりも失恋がしたくなってくる。

そして、泣いて友達に愚痴るくらいなら、ひとりでイヤホンから中島みゆきの曲を流しながら晩酌していたい。

 

生まれかわったら中島みゆきになりたい。

生まれかわれなくても、中島みゆきの曲が聴ける世界に生まれてよかった。

 

ちなみに何か書きた気がするけど、言葉が浮かばないとかモヤモヤして書けない(noteの人なら頷いてくれる人多いはず)ときは、部屋を暗くして中島みゆきを聴くと、どうしてかストンと何かが腑に落ちる感覚になれる。

降ってくるんじゃなくて、ストンって落ちる。

 

あぁ、音楽コラムを書く技術が欲しい。

もっとちゃんと語れるようになったらnoteでも中島みゆきを語りたいのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日真夜中に書いたこと

最近意味もなく夜中に書きたい衝動が襲ってくる。

夜の時間を持て余してるから、その場の感情で無心に書きたくなっちゃう。

コロナだったり雨だったりで生活に抑制を強いられてるし、単に夜の時間が暇だからだ。

今までは適度に夜ご飯やら飲み会やらあったけど、今はそんなのほとんどない。

朝早く仕事に行って、19時には家に帰ってくるけど、それから寝るまでの4時間くらいをご飯とお風呂で使う以外に持て余してる。

みんなどうやって過ごしてるんだろう。

 

最近のバラエティはそんなに面白くないからテレビはご飯を食べてる時に何となくつけてるだけだし、YouTubeもたまにはいいけど、毎日観たいほど別に好きじゃない。

芸能人で好きな人もそんなにいない。

友達とのLINEは、用事がある時しかしないし、電話も楽しいけど頻繁にすると疲れるから、話す話題があるときだけだけでいい。

誰かにどうしても話したい出来事は、ツイッターに書き込む。

別に返事がこなくてもそれで満足できる。

 

高校や大学時代の友人には、友達多そうだよねとか、何かいつもキラキラしてるイメージって、ちょっとからかい入りで言われる。

でも、何がだろう。

特に趣味もなければ、忙しいわけじゃないのに、LINEの返信半日以上かけちゃうんだけど。

電話してもテンション高いのは最初のうちだけで、だんだん相槌だけになるんだけど。

秒で返ってくる1行ずつの会話、面倒になっちゃって5分ももたないんだけど。

 

きっと、SNSに「誰々と遊んだ」って頻繁に投稿していた大学時代のイメージがあるからだ。

あの頃は予定のない休日が怖かったし、毎日誰かと繋がってないと不安だった。

飲み会も特別何か予定があるとかじゃないと断ったこともないし、授業が終わったらそのまま帰るっていうのが味気なくて、無駄に部室に入り浸ったり友達誘ってスタバに行ったり、ひとりで買い物に行ったりしてた。

フォロワーの数といいねの数が気になったし、スカートやたらと短かったし髪の毛クルクルでめちゃくちゃ明るかったし、化粧濃かったし、大衆的なキラキラJDになりきって暗い部分を隠そうとしていた。

もともとの顔立ちもあって、キャバ嬢みたいって言われてたけど、それってかなり似合ってないよ。

忘れてほしい。どうかあの頃の写真は消してほしい。

でも、調子のってた時代のおかげで極度の人見知りだけはちょっと克服できたからそれだけは戻らないでほしいけど。

 

昔は誰かから見る自分がいちばん自分らしいって思ってた。

自分らしさを分かりたくて、誰かの言葉をとにかく探し回る。

誰かがぽつりと漏らす、もしくは回りくどく自分から聞きにいったわたしの印象をわたしの姿だと思いこむ。

キャバ嬢みたいだねって言われたら、そっか派手なのが似合うのかって。

盛り上げ役とかギャグセンあるって言われたら、そっかわたしおもしろ枠なのかって。

なんかエロいって噂されてても、それは色気とかそういう上品なものじゃなくて、単純に体型だとかスカート短いとかおっぱい大きいとかそういうことだって知ってた。

エロいと色っぽいは全く違うんだよ。

 

今は、何週間か前からLINEで誘って、あらかじめ休日に予定を入れなきゃ、なかなか友達と会えない。

しかも突然遊びに誘っても全然変じゃないくらい仲良い子にしか会わないし。

「サークルの先輩後輩」とか「ゼミの仲間」とか、週何日か顔を合わせてそこそこ会話はしたはずなのに、友達という名前を付けるのに躊躇ってたあの人たちって、誰かの結婚式とか同窓会とか大きな飲み会とか何か特別なことがない限り、もう会わないのかな。

今のわたしは、もう外見、全然キャバ嬢じゃないけどどう思う?

 

社会人になったら外見のことも、良いこと悪いこと関係なくわたしの印象って、誰にも何にも言われなくなった。

会社と家の往復をひたすら繰り返す今のほうがよっぽど孤独なのに、今のわたしがいちばん自分らしいと思う。

そもそも自分らしいって何の定義もないけど、ひとりのお出かけの時に着るのに選ぶ服とか、

自由に2万円自分のために使っていいよって言われたら何を買うかの妄想とか、特に書きたいことも無いのに書き始めちゃうときの話題とか、誰かが関わらない前提で選んだもので出来上がってる自分が、自分らしい。

 

最近は、社会人だからとか関係なく、肩くらいまでの黒髪が好き。だって、楽だし。

シンプルが最強だし、メイクもドラッグストアのブラウン系の薄いアイシャドウで充分だし、くるぶし丈の1枚でばさっと着れるワンピースばっかり探してる。

ブランドものでコテコテに固めるより、ひとつだけ、こだわったものを持ってたほうが逆にオシャレじゃない?

ぺったんこ靴の楽さに慣れたらヒールとかもう履けない。

ご飯食べる前にSNSにあげる写真を撮るのも面倒くさいし、テーマパークに行くなら写真撮るの禁止にしてみたら、絶対もっと楽な格好で行けるよね。ジェットコースター乗っても髪の毛ボサボサでも気にならないし、夜行バスの暗闇でメイクするの大変じゃん。

でも、どれもこれも全部、昔はダサいって思ってたもの。

 

誰の目も気にしなくなるって、ちょっと寂しいけど自由だ。

でもやっぱりたまに夜は寂しくて、話題を考えて友達にLINEするより楽だから、また内容のないことを書いちゃった。